バスタードキュメンタリー 第4章 パート1
バスターその後 1978-1980(パート1)
聞き手:ジョン・カークマン
語り手:ロブ・フェンナ、ピート・リー
【本ビデオ要旨】
・所属するレコード会社とボニー・タイラーの抱える問題により、ボニーと同じマネージャーに付いていたバスター達は、しばらくの間、仕事を進める事が出来なくなってしまった。
・一度レコーディングした「想い出のあの娘」を焼き直して録音するように言われるが、彼らは、再レコーディングに意義を見出せなかった。
・その間、ベストアルバム「ダイアリー」が発売される。ベスト盤の発売は、今までやった物でもう一度利益を得ようとするような姿勢で、あまり気が進まなかった。
・バスターが目指していた音楽は、時代からそう掛け離れていなかったが、一度アイドルバンドというイメージが付いてしまったバスターという名前に苦しめられた。
・辛かったのはアイドルバンドにいたという事ではなかった。むしろ、自分の10代をポップスターとして過ごせた事に誇りを持っている。
・しかしながら、利益を追求する会社に変化、成長を阻まれる。ロブとピートは常に新しい曲を作っていたのにも関わらず、以前の曲の焼き直しを求められた。(前出「想い出のあの娘」)
・ピートやケヴィンの家でのセッションでは、次のアルバム候補となり得る「ウィッシュ・アイ・ワズ・ヤング・アゲン」「ベイビー・ユール・ネバー・ノウ」「ノー・エクスプラネーション」等いろんな曲が生まれた。
・バスター時代に、現在の活動の礎となる貴重な経験を積んだ。ボーカル、アレンジ等、2人のマネージャーとプロデューサーたちから様々なことを学んだ。
・その後「ジャックス」と名前を変え、一枚のシングルをリリース。レスのリードボーカルの素晴らしい作品となった。この曲で、皮肉にも初のBBCラジオのセッションに出演する事となった。
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ロブ
僕らのマネージメントをしてくれてた会社は問題を抱えていたんだ。それが何だったかはよく知らないんだけど、BMG…当時のRCAと、僕らには関係なかったと思うけど、ボニー・タイラーの事だったみたいだね。どういう状況だったのか、詳しい事は分からないけどね。
でも、それはつまり、その問題が解決するまで、僕らの方もレコード会社との仕事が進まなくなるって事だったんだ。何故なら、僕らとボニーは同じマネージャーに付いていたからね。結局僕らも巻き込まれて、そのまま待たされるはめになったんだ。音楽業界にいる人は良く分かると思うけど、6ヶ月というのはとても長い期間だ。人々、ファッション、アイデア…みんな変わってしまう、特にポピュラー音楽界においてはね。それで、1年後くらいには、もうこれは上手く行かないだろうとという事がハッキリした。
何曲かデモも作ったけど、以前にやったものの焼き直しをすることになったんだ。例えば「想い出のあの娘」は、もう前にレコーディングしたものだったけど、もう一度やるように言われたんだ。僕らはまったく意味のない事だと思ったけど…。
ジョン:
君たちにはもう1枚、事実上のベスト盤「ダイアリー」というアルバムがあった。1978年に発売されて、クリスマス・メッセージなんかも録音したよね。それには、「ビューティフル・チャイルド」が初めてアルバム入りしたし、シングル盤だった「シー・エイント・マイ・ベイビー」も入った。当時、大きなマーケットだった日本のファンにとって、これが君たちから発信された最後のアルバムとなってしまったね。
バスターの終焉から「オルタナティブ・レディオ」という別のバンドへの移行するグレー・ゾーンは…
ロブ:
僕は「シー・エイント・マイ・ベイビー」がシングルになるとは知らなかったんだ。デイブ・マッカイの新しいスタジオでレコーディングした事は確かだけど。その時、2曲録音したね。「昨日みたいに突っ走れ」のスタジオ・バージョン、これはもう誰も持ってないし、どこへ行っちゃったか分からないんだ。それと「シー・エイント・マイ・ベイビー」だった。
それは次の新しいレコーディングのスタートだったわけだよ。「シー・エイント・マイ・ベイビー」は日本でシングルになったけど、僕はインパクトのある曲だとは思わなかったんだ。Aメロは良かったけど、サビがあまり好きじゃなかったよ。とにかく、それはシングルになった。ベストアルバムが出た時、僕個人、ちょっと不吉な前兆を感じたんだ。ほら、ベストアルバムを出すって言うのはつまりね…分かってたんだ、要するに在庫一掃セールみたいなもんだろ。以前にやった曲で、出来るだけたくさん稼ごうとするみたいなことだよ。
ロニーとスティーブが、僕らの新しい契約をいくつかの会社と交渉してたのは知っていたよ。それと、何か問題があったにしろ、ボニーの方のもね。
でも、忘れちゃならないのは、ちょうどその時のイギリスではパンク人気がが定着しようとしていて、77年以前に僕らがやっていたような事は、まったくの時代遅れだったわけ。いつも不満だったのは、僕らのサウンドを発展させられなかった事だ。イギリスで起こってた変化は、僕らも分かっていたんだけどね、もっとロック色の強いものとか…。
ジョン:
でも、そもそも君たちがやりたいと思っていた事は、そういうムーブメントからそう掛け離れていなかったんじゃなかな。
ロブ:
そうだね。でも、僕らが抱えてた問題は「バスター」という名前だった。イギリスでは「バスター」という名前が大問題だったんだ。ほら、僕らは、イギリスではその名前で成功してなかったろう、今まで話したような理由でね。その上もっと悪い事は、そのアイドルバンドをパンクバンドに変えようとしていた…。
ピート:
僕らはアイドルバンドとして知られていたけど、本当はまったく違っていたんだよ。
ロブ:
そうそう。
ピート:
僕らはただ型にはめられていただけなんだ。
ジョン:
君たちは多分「スウィート」と同じような状態だったんだんじゃないかな。アイドルバンドとして見られていたけど、B面を聞くと本当のバンドの姿が分かる…。
ロブ:
僕はアイドルバンドでいることが嫌だった訳じゃない、ティーン向けとかそういうのだって素晴らしいよ。僕はみんなに良く言っていたよ、自分の10代をポップスターとして過ごすなんて、なんて素晴らしいことかって。でもみんな進んで行かなけりゃならないんだ、時と供に変わって行かなければならない。同じところに留まっている訳には行かないんだ。で、レコード会社の話だけど、彼らはとにかく利益を吸い上げて、それが出来なくなると、ポイッと捨てて、次のバンドに行くんだ。それが人生ってものだけどね。僕らが心配していたのは、将来を見据えてどうやって行くかという事だった。でも僕らはたくさんの人たちと契約をしていた、出版社とか、レコード会社とか、マネージメント会社とか…。それで、まったく身動きが取れなかったんだ。
ジョン:
でも、君たちはアルバムにもなり得るレコーディングをしたろう?
ロブ:
「想い出のあの娘」の話に戻るけど、あれは前にやった曲だけど、もう一度焼き直しで、デモをレコーディングしたんだ。ロニーとスティーブはどうにかシングルに出来るんじゃないかと思ったようだったよ、「バスター」としてでもね。
ロブ:
ボニーも同じ曲をレコーディングしたんだよ。
ロブ:
それで、僕としてはそのバージョンも良かったとは思ってた。これはバスター2のボーナス・トラックに入る事になったよ。で、そのバージョンも悪くはなかったんだけど、一度やった物の焼き直しをするという事に意義を見い出せなかったんだ、その頃ピートと僕は、他に新曲を書いていたのにね。それをやる事だって出来たのに。
ジョン:
君たちがピートのうちや、ケヴィンのうちでセッションをしていたのを覚えているけど、それは、なかなか実りある時間だったんじゃないかな?
ロブ:
そこでよく曲を書いたよ。
ジョン:
アルバムになり得るという点で、マイスペースとパルスのウェブサイトにそのいくつかの曲が出ているけど…。
ロブ:
バスター2のボーナス・トラックにはピートの「ウィッシュ・アイ・ワズ・ヤング・アゲン」と、「ベイビー・ユール・ネバー・ノウ」と…。
ピート:
「ノー・エクスプラネーション」もあったね。
ロブ:
そうだね。それってデビッド・マッカイとレコーディングしたんだっけ?
ピート:
そうだよ。
ロブ:
オーストラリアにいた時、「バレー・オブ・エバグリーン」という曲を書いたんだ。時間がなくて歌詞はその場で仕上がらなかったけど、でも曲なんかはほとんどそこで書いたね。それから「フェイト・ステップス・イン」って曲も書いたな。
ジョン:
「フェイト・ステップス・イン」…じゃなくて、「バレー・オブ・エバグリーン」は明らかにオルタナティブ・レディオになってからの曲だけど、「フェイト・ステップス・イン」はバスターの曲としてもすぐ使えたんじゃないかな。
ロブ:
そうだね、バスターっぽいかもね。今でもとても良い曲だと思ってるよ。
ピート:
今の僕らがレコーディングする時に考えるのは、バスターの頃の僕たちと今の僕たちの微妙な違いを見つける事なんだ。僕にとっては難しい事で…
ジョン:
それは完璧でありたいと思っているんだね。
ロブ:
バスターの最大の特徴はボーカルなんだ。オルタナティブ・レディオでも、ある意味バスターのように歌う事もあるよ。僕がバスターだったからという訳ではないんだ。ボーカルやアレンジなんかに対するやり方は、みんなバスター時代に学んだものなんだ。僕らはバスターで多くの事を学んだよ。それからデイブやロニー、スティーブからもたくさん勉強させてもらった。テクニックなんかもね。僕らがハーモニーをアレンジするやり方は、バスター時代にやっていたものが開花したものだなんだ。バスターのようなサウンドというのは、つまりバスターが僕らだったからなんだよ。
ジョン:
いつバスターは終焉を迎えたの?でも、それは必ずしもバンドの終焉ではなかった。今ではめったに手に入らないシングルもあって。さっき話してくれたように、バスターという名前に苦しめられて君たちが名前を変えた事を、日本では本当に一部の人達しか、知らなかったんじゃないかと思うよ。君たちは「ジャックス」と名前を変えた。メンバーはそれでも君と、ピートと、ケビンとレスで、一枚シングルを出したね。
ロブ:
あぁ、でも本当に実験的なものだったよね、ピート?実はデイブ・イーガーっていういい奴がいて、僕らと仕事する事になったんだ。彼は当時イギリスで人気のDJだった、例えばラジオ1で朝の番組を持っていたりするようなね。そのデイブが、デイブ・クラーク・ファイブの「ビッツ・アンド・ピーセズ」をやってみればと勧めてくれて、アレンジなんかもやってもいいと言うんだ。他に何かやるようないいアイデアもなかったから…と言ってもいいだろうけど、そんなわけで、J-A-X、ジャックスという名前でその曲をやる事になった。確かレスが歌ったんだけど、正直に言って、とってもいい出来だったよ、素晴らしいキーボードプレーヤーも入っていたしね。B面は、ピートが…、確か君がドラムを叩いたろ?で、僕が歌ったんだ。それで、皮肉にも、その曲で初めて、控えめながら、BBCラジオ1のセッションに出演したんだよ。(ピートに)ね?その後にも出演したけど、それが初出演だったんだ。

