バスター 海外公演 1977(パート1)
聞き手: ジョン・カークマン
語り手: ロブ・フェンナ、ピート・リー
【本ビデオの要旨】
・バスターは日本で大人気となり、来日時には空港にファンが押しかけ、その様子がNHK「ニュースセンター9時」のニュースとなった。
・1977年12月25日、日本武道館において昼夜2回の単独公演を行う。
・NHKのTV番組に出演し、ライブ演奏を行う。サンデーズとの共演はステージ直前に知らされ、曲のアレンジを変更しなければならなかったが見事な演奏を行い、ライブバンドとしての面目躍如だった。
・日本でゴールド・ディスクを授与されたが、ピートのズボンのチャックが下がっていたというハプニングがあった。
・日本公演の後、フィリピンに行きイメルダ・マルコス大統領夫人関連の団体向けコンサートを、マニラ・スタジアムで行う。
移動は武装警官隊の護衛付きで、単独での外出も禁止されていた。
・宿泊先のホテルの豪華さと、庶民の生活の落差に大変驚いたが、フィリピン滞在ではよく世話してもらったと感じている。
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*********************************************************ジョン:1977年12月に話を進めよう。これはバスターの歴史にとって非常に大切な月だったね。
ロブ:素晴らしい月だったよ。
ピート:本当にね。
ジョン:2曲ほどのヒットを出した後、君たちは日本に行ったわけだけど、あれほど日本で有名になっていたとは思っていなかったようだね。
ピート:本当にビックリしたよ。まるで、「ビートルズ旋風」が起こったようだったんだそれはもう沢山のファンが空港のデッキで出迎えてくれて。飛行機を降りて、もうびっくりしちゃったよ。
ロブ:NHK「ニュースセンター9時」でも報道されたんだ。
ピート:イギリスの「ニュース10」の日本版ともいうべき番組で「バスター日本上陸!」ってね。
ジョン:小規模なライブをしたわけじゃなかったよね。武道館でやったんだよね。君たちより10年ほど前、西洋のロックバンドとして、初めてそこで演奏したのがビートルズだった。
ロブ: 正直言って、それまで武道館なんて聞いた事も無かったんだ。これはピートも同意してくれると思うけど、当時はどれだけ自分達が成功してたのか分かっていなかった。武道館という名前の会場程度にしか思っていなかった。僕たちは誰も、武道館がどれだけの歴史を持っていて、重要な建物なのか知らなかった。
ジョン:1964年に開催されたオリンピックの柔道や格闘技競技の為に建てられたんだよ。
ロブ: ビートルズが来日した時には、そこで演奏するにあたって、色々な問題があったらしいよ。日本の伝統芸術とも言えるスポーツ、つまり柔道をやる神聖な競技場でポップバンドがコンサートを行うのを嫌がる人達が居たからさ。でも幸運な事に、僕らが演奏した頃には全てが丸く治まっていたよ。
後になってから、ビートルズだけではなく、ボブ・ディランやチープ・トリックもそこでコンサートをして、武道館で演奏するって事がどんなに凄い事なのか知ったのさ。
ジョン:もし日本でコンサートツアーをするのなら、武道館という会場はステイタスだ。
ロブ:そうなんだ。もし、誰かに日本で成功したかどうか聞かれたら、「武道館で一日に2回コンサートをしたよ」って言うだけで分かるはずだよ、と言ってたものさ。
ピート:1997年のクリスマスの日に、昼の部、夜の部と2部 、僕たちだけでコンサートをやったんだ。前座もバックバンドも無しに、僕たちだけで。
ロブ:他の出演者なしでね。
ジョン:日本のテレビ番組にも出演したんだよね。その時は録音を使わず、本当のライブ演奏だった。その様子も観られるとか?
ロブ:そうそう。YouTubeとパルスのウエブサイト(www.pulse-records.co.uk)でバスターの色々なビデオが見られるけど、特に僕が気に入っているのは、僕も長いこと見てなかったんだけど、NHKでのライブ演奏だよ。
曲の半ばで、ダンシング・ガールズが出て来て僕たちと合流して、一緒に歌いだしたんだ。僕にとってそれはハイライトの一つだったよ。僕たちがどれだけ生演奏にすぐれたバンドかと言う事を見せる事が出来たからね。ほんの1-2分前に共演を知らされアレンジを変えなければならなかったのに、あれだけのライブが可能だったのは僕たちがすぐれたライブバンドだったからさ。
普通、アレンジは変えられたくはないものなんだけど・・・
ピート:僕達はアレンジをすぐに変えたんだ。
ロブ:僕達にはそれができたんだ。なぜなら、いつもそういうことをしてきたからね。
ピート:13-14歳頃から、イギリスのクラブ巡業で培った経験がその時見せられたって感じかな。経験に勝るものは無し!
ロブ:そしてそれが、とてもうまくいったんだ。ビデオを見てもらえれば、僕ら全員、楽しんで演奏しているのが分かってもらえるだろう。
ジョン:そして驚いた事にその時、ピートは18歳、ロブは19歳、ケヴィンとレスは16、17歳くらいだったかな?
ロブ: 違うよ、ケヴィンとレスは18歳。僕ら3人は9月生まれで、グループでは僕が一番童顔だったけど、僕は彼らよりちょうど1歳年上だった。4月生まれのピートは僕と同じ19歳だったんだよ。
ジョン:考えてみると、君たちは20歳にもなっていないのに、沢山のヒットレコードを出し、武道館でコンサートを開き、クリスマスの昼夜の2部ともチケットは完売。
おまけにゴールド・ディスクまで授与されたわけだね。
ピート:ゴールド・ディスクを受け取った時、僕のチャックは開き放しだったんだ。
ロブ: ズボンのチャックは下がったままでした!
ジョン: 貴重な情報ありがとう(笑)
ピート:僕たちは大きな机の後ろに座って、自分たちの番が来るのを待っていたんだ。僕の番が来たので前に出てデイスクを受け取りに行ったんだ。
ロブ:僕達、他にも沢山授与されたんだよね?
ピート:そして僕の分のゴールド・ディスクを受け取ってまた座った時に、ズボンのチャックが壊れているのにやっと気がついたんだ。
ジョン:沢山の経験を積んだ上で、プロとして何をしたいか証明する機会に恵まれた訳だけど、その時どんな気持ちだったのかな?
ピート:僕達はライブ演奏が好きだったよね?
ロブ:そうだね。
ピート:僕はスタジオでレコーディングするより、いつもライブ演奏のほうが好きだった。アルバムを作る時なんか、スタジオでの仕事は大変だよ。
ロブ: 自分自身の曲を演奏するのなら、スタジオでのレコーディングはすばらしい事だよ。でも色々な人の曲を歌う時、すばらしい曲なら良いけれどあまり自分に合わない曲だったりすると、ちょっと難しいよ。心を入れて向かわないと良い出来にならないからね。
ちょっとお茶を入れる様に簡単に行かない時もある。
ピート:お茶と言えば・・・
ロブ: お茶と言えば、ちょっと休憩にしよう。
<休憩>
ジョン:1977年の暮れ、日本でのツアーは大成功に終わり、1978年後半には再度訪れたいところだったね。日本を後にして君たちはフィリピンに行きイメルダ・マルコスの為のコンサートを行ったんだよね。
ロブ: 彼女の為のコンサートではなかったけど、
ジョン:彼女が主催者だった。
ロブ:そう、彼女が主催者だった。その時僕らは、彼女が誰だか全く知らなかったんだ.
ジョン:また大きなコンサートをマニラ・スタジアムでやったんだよね。
ロブ: そうさ。極東一のすばらしいホテルに泊まったんだ。とても美しいホテルだった。
ピート:モハメッド・アリが『スリラー・イン・マニラ』の対決の時に泊まったホテルと同じだよ。
ロブ: 当時は、政治情勢にはあまり詳しくなかったね。武装警官隊に護衛されながら移動したんだ。誰かに銃で撃たれない様にだなんて、当時は分からなかったよ。
ピート:当時のフィリピンでは外出禁止令が敷かれていて…。
ロブ:外出は、一切許可されなかったんだ。
ピート:自分達だけで外出してはいけない、とか言われたな。
ロブ: TV番組に出演するためにマニラ市内を移動した時、それまでは気付かなかったけど、大半の人々がトタン作りの掘建て小屋に住んでいるのを見てかわいそうになったのを覚えているよ。本当にショッキングな光景だった。
ピート:すばらしいホテルの2分先にはトタンの掘建て小屋があったんだ。
ロブ:そう、大半の人々はそのようなところに住んでいたんだ。
ジョン:ところで、クラブなんかではなく、スタジアムでコンサートをやったんだよね?
ロブ:そう, とても大きな会場さ!今でも覚えているけど、どこかの組織の為に、1曲演奏しなければならなかったんだ。どんな曲か忘れてしまったけど。なんらかの政治組織だったかもしれないけど、なにも聞かずにただ演奏したよ。どうか撃たないで、僕はただのピアノ奏者ですってね(笑)。でも、ビートルズが行った時(*訳注)の様に、嫌な経験はしなかったよ。彼らはそこで悪夢のような体験をしたんだ。
正直に言って、僕たちはフィリピンでの滞在中、大変良くしてもらったと思うよ。
ピート: そうだね。
*訳注 ビートルズフィリピン事件

