by ロブ・フェンナ

何年か前、私はリバプールのアデルフィ・ホテルで開かれたビートルズ・コンベンションに出席した。同行したのはアラン・ウィリアムズ氏 ― ビートルズの最初のマネージャー ― 不名誉にも“ビートルズを逃した男”として知られている。彼は、私もかかわった新しいインタビューCDの契約のために来ていた。
ビートルズの“形見”が、膨大な金額でいろんな人の手に渡って行くのを、私はその日一日中目の当たりにし、30年以上も前に最後のコードを奏でた一バンドに対して人々が寄せる飽くなき関心に、自分如何に驚いたか、アランに話した。
話は、その後“ポップスの形見”に移り、中でもジョン・レノンの所有していたピアノが、サザビーのオークションで、驚きの150万ポンドで落札されたことが話題になった。たかがピアノにそんな莫大な金額を注ぎ込むその観念について議論をしていると、我々の話を漏れ聞いていた一人のビートルズファンがしゃしゃり出て言った。
「そんなのは、ジュリアのバンジョーが落札されるだろう金額に比べたら、なんて事ない!」
その言葉に興味をそそられ、私はその続きが聞きたい、と尋ねた。
そのファンは、レノンの母親ジュリアが、自分の息子を如何にして音楽の世界に引き込んだか、どのように彼女の持っていたバンジョーの弾き方を教えたかを話してくれた。
「じゃあ、その貴重なポップスの遺品はどこにあるんだい?」私は尋ねた。「偉大なロックンロールの伝説的人物がかつて弾き方を習ったという最初の楽器、芸術、ファッション、ポップミュージックをも永遠に変えてしまう鍵となった、その楽器は、一体どこにあるんだろうか?」
「行方不明さ!」彼は力なく答えた。「もう、40年以上もね。」
これで話は終わったと思ったが、2〜3週間後、スカイ・ニュースを聞いていると、私の“ジュリアのバンジョー”への興味は突如、再燃した。
そのニュースが世界に報じていたのは、とある幸運な掘り出し物ハンターがガレージセールで15ポンドで買ったスーツケースに、ビートルズの貴重な形見の数々が入っていた事がどうやって分かったか、というものだった。どうやらそのスーツケースは、“ファブ・フォー”のローディー、マル・エヴァンズ(故人)のものだったらしい。そんなものが、一体どうしてガレージセールなんかに出される事になったのか、神のみぞ知る…。
そのスーツケースが発見された数日のうちに、また更なる注目のアイテムが明るみに出た。珍しい(多分レノンのものと思われる)ヘフナーのギターが、リバプールにあるジョンの叔母(ジョンが一緒に住んでいた)の古い家の屋根裏から見つかったと言うのだ、それも、待てよ…バンジョーの楽譜とともに!
私の好奇心はエンジン全開でこんな難解な質問をしたくなる。
「ジュリアのバンジョーも、まだそこにあるのでは?そして、ただ見つかるのを待っているという可能性は?」
この事について、レノンの異父妹(同じくジュリアという。)を含め、何人かのビートルズの専門家に取材して、ビートルズコンベンションであのファンが言っていた事は事実だと聞き、私は熱狂した。
ジョンがまだ10代の時に、ジュリア・レノンが交通事故でなくなった直後、バンジョーは消失した。― 母の死は、その後のジョンの人生にずっと付きまとうことになる出来事であった。後に彼は“ジュリア”や“マザー”といった曲の中で、彼女に永遠の生を与えた。唯一彼が遺した、母との物理的な絆であるバンジョーは、彼にとっても愛着のあるものだったのではないかと見るのが妥当であろう。事実、レノンはインタビューで何度もジュリアのバンジョーに触れているだけでなく、バンジョーは“ビートルズ・アンソロジー”の中で彼の最初の話の主題でもあった。そうなると、こんな貴重な家族の遺品が、ゴミと共に捨てられているなど、考えにくい。
「じゃあ、このポップスの遺産の“聖杯”を探すためには、どこからスタートしたらいいかな?」冗談めかしてジョンの妹に尋ねた。「ジョンがどこかに隠しちゃったとか?」とも付け加えた。ジュリアが私の質問をじっくり考えている間、いいようのない沈黙が我々を包んだ。「わかる?」彼女は口を開いた。「私たちの母が亡くなった後に、それはジョンがやりそうな事だわね…。」
「なんて事だ!」と私は思った。「映画の題材に持って来いじゃないか!」
ジャンル:ドタバタコメディー ― 事実に基づいたフィクション
不運のビートルズオタク、バリー・セッドンは、ガレージセールで買った古い音楽雑誌の中に手紙が挟み込まれているのを見つける。― その手紙は、ジョン・レノンが書いたものであった。
つまり、彼はポップス界の偉大なる謎を解き明かす手掛かりを掘り出すのだ。1958年の彼の母の早すぎる死の後に消失した、レノンの最初の楽器のありかを探す鍵を。
40年経った今、バリーは、何故バンジョーが消失したかを知る。「ジョンが隠したんだ!」
だが、セッドンの口の軽さが、テキサスの骨董商、策士トラヴィス・ローソンの目を、あの貴重な遺品に向けさせてしまう。
そしてトラヴィスは、先にそれを見つけて手に入れようと企てるのである。
ポップス界の“聖杯”を巡るバトルが始まろうとしている…。
ロブ、彼の新しい映画脚本ジュリアのバンジョーを語る
ジュリアのバンジョー”という作品は、とある使命を持ったビートルズの熱狂的ファンたちを追う物語である。その使命とは、母から貰ったジョン・レノンにとって初めての楽器を探すこと…。
「ストーリーは半分事実、半分フィクションなんだ。」と映画制作のロブ・フェンナ氏は語る。
「ジョンが初めて習った楽器は、母ジュリアから貰ったバンジョーだった ― という部分は事実。彼は“That'll Be The Day(ザットル・ビー・ザ・デイ)”を習ったんだけれど、それ以上の事は何も語られていない。僕が話を聞いた、バンジョーがどこにあるか知ってそうな人たちは、皆『行方不明だ』って言うんだ。
もし、これが本当に偉大なロックンロールの伝説的人物が弾いた最初の楽器なら、つまり文字通り“ポップスの聖杯”という事になる。そうなると、こう尋ねたくなる、『どこにあるのか?』」
ミュージシャンのフェンナ氏(47歳、在クロスビー。ヘレン・フォレスターのTwopence To Cross The Mersey(タペンス・トゥ・クロス・ザ・マージー)を舞台劇にアレンジした。)は、現在、脚本の最後の仕上げに掛かっている。
ダン・ブラウンの“ダヴィンチ・コード”が温厚な教授ロバート・ラングドンを主人公にしているのに対し、ジュリアのバンジョーの主役は、太りすぎの30何某のバリー・セッドン、マジカル・ミステリー・ツアー・バスのガイドである。
彼がガレージセール買った、ビートルズのファン向け雑誌の山の中から、彼は1961年にジョン・レノンが友人スチュアート・サトクリフへ宛てた手紙を発見する。ジョンは自分の持ち物を、ミミ叔母さんに捨てられるのを恐れ、どこか秘密の場所に隠さなければならなかった、とその手紙には書いてあるのだ。
難解な詩に、スターの貴重なバンジョーの在処への手掛かりが隠されている。そのバンジョーは、1958年に交通事故で亡くなった母ジュリアの遺した、ジョンが持つ、唯一現存する形見であった。
セッドンは、ジョンが子供の頃に住んでいたメンローブ・アベニューや、昔の溜まり場ジャカランダ(The Jacaranda)やキャバーン(The Cavern)といった場所を含め、リバプールの街中を巡る旅に出る。
バンジョーへの道のりは決して平坦ではない。落ちぶれたテキサスの骨董商トラヴィスは、この貴重な楽器捜索の話を嗅ぎつける。彼はセッドンの気を引くよう、自分の美しい妻シェリルを秘密裏に送り込み、彼女に“獲物”を持ち帰えらせるよう仕組む。
「これはビートルズの映画ではないんだ。その余波、あるいは、バンドの伝説についての映画なんだ。」とロブは付け加えた。「ビートルズの曲は、入ってるとしてもほんの少しだよ。」
「映画ではリバプールの街中、あちこちにスポットを当てているよ。僕は2〜3年前からこれを書き始めたんだ、リバプールが“文化都市”に称される前だね。でも2008年(文化都市年)までに仕上げられるといいなと思っているよ。」
「この映画は明らかな理由で、世界的なアピールのある、リバプールの文化を賛美するものだと思うよ!」
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